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横浜地方裁判所 昭和48年(ワ)870号 判決 1983年5月20日

原告

西沢江利子

右法定代理人親権者養父

西沢博美

同養母

西沢朝枝

原告

清水武治

原告

清水和栄

原告

西沢博美

右四名訴訟代理人

福田喜東

被告

医療法人平和会

右代表者理事

安孫子連四郎

被告

小林賢

被告

岡島行一

被告

桑山志津江

被告

亀岡愛

右五名訴訟代理人

藤井還

西川紀男

池田和司

橋本正勝

水沼宏

主文

一  被告医療法人平和会は、原告西沢江利子に対して金二六九二万五二七七円、原告清水武治、原告清水和栄に対して各金二五〇万円、原告西沢博美に対して金一二五万円及びそれぞれに対する昭和四六年五月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告医療法人平和会に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告ら各自に生じた費用の各二五分の一及び被告医療法人平和会に生じた費用は同被告の負担とし、その余の費用は原告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事案

第一 当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 被告らは連帯して、原告西沢江利子に対して金一億四一八〇万一九六七円、原告清水武治、原告清水和栄に対して各金一〇〇〇万円、原告西沢博美に対して金二〇〇〇万円及びそれぞれに対する昭和四六年五月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

3 仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁

1 原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二 当事者の主張

一 請求原因

1 当事者

(一) 原告ら

原告西沢江利子は、原告清水和栄及びその夫原告清水武治の実子であり、昭和四六年五月二日、被告医療法人平和会において出生した。

原告西沢博美は、その妻朝枝と並んで原告西沢江利子の養親である。

(二) 被告ら

被告病院を除くその余の被告らは、いずれも原告江利子出生当時被告病院に勤務していた者たちである。

被告小林賢は原告和栄の妊娠、分娩について担当していた産科医師であり、被告岡島行一は原告江利子出生前夜から当日朝にかけての被告病院の当直医の任にあつた者であり、被告桑山志津江は助産婦兼看護婦であり、被告亀岡愛(原告江利子出生当時の姓は石川。)は当時准看護婦であつた者である。

2 準委任契約

原告和栄、原告武治は、被告病院との間において、昭和四六年五月二日、原告和栄が懐胎した胎児を正常に分娩させることを被告病院に委託する旨の準委任契約を締結した。

3 原告江利子出生及び受傷に至る経緯

(一) 原告和栄は、昭和四五年秋ころ妊娠したため、同年一一月二八日から被告病院に通い、被告小林の診察を受けていた。<中略>

(九) 被告桑山は、直ちに被告亀岡、同じく准看護婦の清野及び被告岡島を呼び、また被告小林に連絡をとるとともに、原告江利子に対しては酸素を与える措置を講じた。<以下、省略>

理由

一請求原因1、2の事実は被告らにおいて明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。

二同3の各事実について

1  以下の事実は当事者に争いがない。

(一)  同3(一)の事実。

(二)  原告和栄が経産婦であつたこと。

(三)  出産当日、原告和栄が被告病院に来て、午前七時ころ入院したこと、同原告が被告亀岡の案内により被告病院一階一〇二号病室に入つたこと、右病室は他の入院者はいなかつたこと、被告亀岡は原告和栄に対して下ばきをはずすよう指示しなかつたこと、当日は日曜日であつたこと、当時被告小林が被告病院に出勤していなかつたこと。

(四)  出産当日午前七時四〇分ころ、被告病院の当直医の任にあつた被告岡島が原告和栄を診察したこと、被告岡島は当時大学医学部を卒業して医師国家試験受験後未だその発表前の段階にあつて医師としての資格を有していなかつたこと、またその専門とするところは麻酔科であつたこと、被告岡島は右診察の際内診は実施しなかつたこと。

(五)  出産当日午前八時ころ原告和栄に対して朝食が配膳されたこと、右配膳に付添つていつた被告亀岡は原告和栄に対し、出産のためには力をつける必要があるから食事をとるよう述べたこと。

(六)  出産当日午前八時三〇分ころ、看護学生笹原和子が原告和栄の声を聞きつけ、丁度そのころ被告病院に出勤してきた被告桑山を病室に呼んできたこと。

(七)  請求原因3(九)の事実。

(八)  その後被告小林が被告病院近くの自宅から病室に到着して原告江利子に酸素を与える措置を続けたこと、更にその後同原告を哺育器に入れたこと。

(九)  原告江利子の四肢に出産後三日目あたりまでけいれんが存したこと。

2  出産当日に至る前の経過及び被告小林の過失について

<証拠>によれば、原告和栄は、昭和四五年一一月二八日、妊娠の疑いをもつて被告病院を訪れ被告小林の診察を受けたところ、妊娠五か月(第一七週)、出産予定日昭和四六年五月一〇日と診断され、以後被告病院に通つて母体の状態及び胎児の成長の経過の診察を受けたが、出産当日の五月二日以前で、最後に被告病院に通つたのは四月三〇日であり、その時点ではまだ陣痛は始まつていなかつた事実が認められる。

そこで検討するに、右四月三〇日の時点では出産予定日まであと一〇日も残しており、陣痛も始まつていなかつたし、またその他にも分娩が開始したとか、あるいは分娩開始直前だと判定すべき事情が存したと認むべき証拠もないから、右時点またはそれに至るまでの時期において、原告和栄を入院させる措置をとるべきであつたとは認められず、右四月三〇日の時点において、被告小林が原告和栄の分娩時期の予測、判定を誤つた過失があると言うこともできないし、また右四月三〇日から出産当日の五月二日までの間に入院させる措置をとるべきであつたと判断するに足りる事情も認められないから、被告小林に原告ら主張の過失が存したとは言えない。

3  出産当日の経緯

<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められる。

原告和栄は、五月二日午前四時ころから陣痛を覚えたのでその旨被告病院に連絡し、午前七時前ころ、原告武治、同西沢に付添われて被告病院に赴き、受付で入院に必要な手続をすませた上被告亀岡の案内により一階の一〇二号病室に入つた。被告亀岡は原告和栄に対し着換えて寝ているように指示し、付き添つてきた原告武治と同西沢に対しては妊婦の看護は病院職員がするし、男性が付添つても役に立たないから帰宅するよう指示したので原告武治、同西沢は帰宅した。

右病室のベッドの枕元にはナースコールブザーがあつたが、それは右枕元近くの壁から約二メートルのビニール様のコードが出ていてその先端にブザーの押す部分が付いているという形態のものであり、通常はそのコードの中途をベッドの頭側の外枠のパイプに縛りつけ、あるいは巻きつけて、コードの先端の押す部分をベッドの枕元に置いて使用するものであつた。

被告亀岡は、原告和栄を病室に案内した際、右ブザーの存在、位置及び用法について、陣痛に苦しみ、あるいは陣痛の間歇期にあつても分娩間近い正常でない生理的、心理的状態にある原告和栄に対して同原告の理解を全うさせ、それを確認する程度にはその説明を実施しなかつた。

右時点において、右ブザーのコードは、ベッドの外枠のパイプに縛りつけてはなく、コードがパイプに巻きつけてあるだけで、コードの先端はベッドから外側(ベッドの頭側と壁の中間)に落ちてたれ下つていた。あるいは少なくとも右のように外側に落ちやすい状態にあつた。

被告病院には、右時点で、産科医師は出勤していなかつたため、午前七時四〇分ころ、前夜から当日朝にかけての被告病院の当直医の任にあたつた被告岡島が原告和栄を診察した。その際被告岡島は、原告和栄に対して簡単な問診をし、陣痛発作二〇秒程度、間歇時間一〇分程度との回答を得、また聴診器により聴診して児心音の正常なことを確認したが、子宮口の開大等を見るための内診は実施しなかつた。

その後午前八時ころには朝食が配膳されたが、その際付き添つてきた被告亀岡は、この時点におけるナースコールブザーの説明を実施しなかつた。

右配膳が終わつて病室内には原告和栄一人となり、八時をしばらく過ぎたころ、原告和栄は陣痛に苦しみながらも朝食をとるため起き上がろうと体を動かしたところ、そのはずみもあつて急遽産気づき、病室のベッドの上で中腰になつた半立ちの状態で原告江利子を娩出した。その際原告和栄は通常の下ばきのほかその上に毛糸の下ばきを着用していて、原告江利子は原告和栄がはいたままのその二枚の下ばきの中に娩出された。

原告和栄は突然の分娩に驚愕、動転するとともに、分娩に伴う肉体的苦痛の中にあつて助けを呼ぶこともままならない状態ながらも叫び、体をもがきながらナースコールブザーが捜したが見当らず、その間このような状態で分娩してしまつてはいけないという気持ちからか、あるいは夢中で無意識的に、原告江利子が娩出しつつある、または既に娩出された前記の下ばきを引張るような形で押えていた。(右のような異常な状況、経過で原告江利子が分娩されたことを、以下「本件事故」という。)

原告和栄が右のように叫びうめいていたところ、その時たまたま右病室に接する廊下を通りがかつた看護学生の笹原和子が原告和栄の声を聞きつけ、病室の中を見て原告和栄が異常なのを知り、急いで看護婦詰所に行つて、そのころ出勤してきた被告桑山に連絡した。被告桑山は被告亀岡を伴つて直ちに病室に行き、原告和栄の下ばきをおろして新生児(原告江利子)を取り上げてへその緒を切つて羊水汚物を取り除いた上、原告江利子が仮死状態で全身チアノーゼを呈し無呼吸の状態であつたため、人工呼吸、心臓マッサージ等の蘇生術を施した。

なお被告桑山が病室に到着した時点ではナースコールブザーはコードが中途でベッドのパイプに一巻きした状態で先端部分はベッドの外側に落ちてたれ下つていた。

右の間、被告亀岡は、被告岡島及び病院近くの自宅にいた被告小林に連絡をとり、被告岡島は直ちに、被告小林は五分位してそれぞれ前記病室に到着した。

被告小林が到着後は同被告が交替して引続き蘇生措置を続行し、午前九時半ごろ、原告江利子は自発呼吸をし、正常な心音に復して蘇生したが、呼吸障害はなお少し残存し、チアノーゼ、けいれんも続いたので、原告江利子を哺育器に入れた。

右のような状態は二、三日間続いたが、五月五日になつてチアノーゼ、けいれんもほとんどなくなり、生命に危険のある状態はほぼ脱した。しかし、その後原告江利子は治癒の見通しの立たない重度の脳性マヒに罹患していることが判明した。

三被告病院の過失について

以上認定の事実によつて検討するに、一般に産科病院(又は産科を含む病院。以下同様)としては、出産予定日近くに妊婦が陣痛を訴えて来院し、病院が入院を受付けた場合には、まず第一次的には産科としての専門的知識、技能をもつて妊婦を診察し、分娩予定時刻を専門的見地から推測してそれが間近に予想されるときには妊婦を分娩室に移して分娩管理の体制を整えて分娩開始に備えるべきであるにもかかわらず、本件においては、原告和栄が入院した時点で被告病院には産科医師は出勤しておらず、当直医の任にあった被告岡島は、産科の専門医師としての資格を有せず、入院直後の原告和栄を診察した際は簡単な問診と聴診を実施したのみで、子宮口の開大等を見るための内診は実施せず、無論分娩時期の判定のためのその他の専門的措置もとらなかつたものである。被告岡島が問診した陣痛発作及びその間歇の時間は分娩期判定のための一つの目やすとなるものであるが、しかしそれも医師ないし看護婦が計測したものではなく、問診に対する本人の回答にすぎず、その回答自体の正確性も保護されていない上、陣痛発作及び間歇時間のみで分娩時期を正確に判定できるとは解しえず、内診を実施しなかつた右の措置は、陣痛を訴えて入院してきた妊婦に対する産科病院が第一次的にとるべき措置として充分なものとは言い難い。

しかし、時々刻々流動的に変化してゆく患者ないし妊婦等の身体状況に対し、状況の推移を見ながら臨機応変に対処してゆくほかない医療行為の性質からして医師ないし病院が注意義務の履行として実施すべき措置は何時にても唯一つに限定されるとは限らない。

本件においても、原告和栄の入院時において前記のとおり当直医の任にあつた被告岡島は充分な産科的措置をとらなかつたけれども、原告和栄が入院のために来院してきたのは日曜日の早朝であり、かつ突然の来院であつたことからすれば、被告病院としてはその時点で充分な産科的措置をとらなかつたことにやむをえない事情もあり、その時点では極く簡単な診察のみを行い、専門の産科医の来院を待ち、右来院まで妊婦の状況の推移を見守るというのも一つの考えうる措置であつて、それもまた医師ないし病院としての必要なる注意義務の履行の範囲内の措置と見るのが相当である。

しかしながら、右のように、原告和栄の来院時は本格的な産科的診察を行わずに専門医の来院を待つ措置が妥当とされるためには、右専門医の来院に至るまで妊婦の状況の推移について充分なる監視件制がとられることが前提である。

そこで次に原告和栄の入院後の被告病院の監視体制が充分であつたか否かについて検討するに、前記認定のとおり、出産当日早朝原告和栄に付添つてきた原告武治、同西沢は、被告亀岡によつて、看護は病院側でするから付添は不要であり男性がいても役立たないからとして帰宅するように指示され(このように、付添うべく来院している近親者等に対して帰宅するよう指示した場合は、患者ないし妊婦に対して殊に充分な監視をなすべき注意義務が生ずると解される。)、原告和栄はナースコールブザーの説明も充分受けず、かつ右ブザーはベッドの外側に落ちていたか、あるいは少なくとも落ちやすい状態のまま、唯一人病室に放置されたものであつて、陣痛を訴えて入院してきた妊婦に対し産科の専門的診察もしない状態における病院の措置としては不充分な監視体制であつたと言わざるをえない。

以上によれば、被告病院は陣痛を訴えて入院してきた原告和栄に対し、専門の産科的知識、技術をもつて分娩時期の予測、把握することもせずに、かつ近親者の付添も不要とした上原告和栄に対して充分な監視体制もとらないまま原告和栄を唯一病室に放置したものであつて、その点に過失が存すると見るのが相当である。

右に述べた被告病院の過失は、同被告がその被用者等を通じて活動するに際して、病院として妊婦に対してとるべき行動を怠つた、すなわち病院としての一連の組織的な活動の過程に全体として不充分な点が存したという意味において、民法七一五条を適用するまでもなく、法人たる被告病院自身に民法七〇九条の不法行為(損害や因果関係については後に検討することとして)が成立するものと解するのが相当である。(なお右のような認定、判断は原告の主張を逸脱していないものと解される。)

四被告岡島の過失について

被告岡島は、前記のとおり、当直医の任にあつた者として陣痛を訴えてきた原告和栄に対し、内診もまた問診と聴診以外の産科的診療も実施しなかつたけれども、そのことそれ自体で当然に同被告個人の過失というには充分ではなく、前一記検討のとおり被告病院の診療体制、看護体制全体の中において右行為を評価せねばならず、そして同被告が被告病院の診療体制、看護体制の全体を統括すべき責任を負つていたと認むべき証拠は存しない点に照すと、同被告個人の過失による不法行為が成立すると認めるにはなお証拠上不充分であると言わざるをえない。

五被告亀岡の過失について

被告亀岡は、前記認定のとおり、原告和栄が入院するに際して付添つてきた原告武治及び同西沢に対して帰宅するよう指示し、かつ原告和栄に対してナースコールブザーの位置の説明を充分にせず、ブザーがベッドの外側に落ちないようにする措置もとらず、また原告和栄に対して下ばきを脱ぐよう指示しなかつたものであるが、右のような被告亀岡の行為を過失と評価しうるかについても、被告病院の診療、看護の全体制の中で考察せねばならず、特に同被告が医師ないし看護婦の指示の下に行動すべき准看護婦であつた点に照すと、同被告個人の立場において前記のような本件事故に対する予見義務ないし結果回避義務(違反)が存したと断ずるに充分な事情はなお証拠上認められないと言うべきである。

六被告桑山の過失について

<証拠>によれば、被告桑山は被告病院の勤務体制上出産当日は午前八時三〇分から執務を要する割当となつており、当日右八時三〇分より少し前ころ出勤して着換えをするなどして勤務につこうとしたところへ笹原和子から本件事故発生の連絡を受けた事実が認められ、原告江利子の分娩すなわち本件事故の発生が被告桑山の勤務時間開始後であつたとは認められないから、同被告に過失が存したと言うことはできない。

七因果関係について

1  被告病院の過失による本件事故と原告江利子の脳性マヒとの因果関係について

(一)  <証拠>によれば、原告江利子の両親に遺伝的原因で原告江利子が脳性マヒになるような要因は特に見当らないものと認められる。

(二)  既に認定した原告江利子出産の経過及び<証拠>によれば、原告江利子はその出生時に未熟児ではなく、また原告和栄が原告江利子を分娩した経過は、何らの促進措置なくして分娩開始から終了までの時間も短く、分娩経過そのものは円滑に(娩出中ないし娩出後の本件事故は別として)進行したものと認められ、本件事故を除いた分娩の過程自体には異常な点は特に認められず、その過程で脳性マヒの原因が生じたとはほぼ考えられない。

(三)  以上(一)、(二)の事実、及び既に認定した本件事故の経過、<証拠>を総合すれば、原告江利子はその出生時に原告和栄の下ばきの中に娩出され、一定時間放置されたためその下ばき又は出産時に排出される羊水、汚物によつて呼吸を阻害されて酸素欠乏、窒息状態に陥り、これが原因で脳性マヒに罹患したものと認めるのが相当であるから、原告江利子の右脳性マヒは前記の被告病院の過失に起因して生じたものと言うことができる。

2 被告病院の過失と相当因果関係ある損害部分について

ところで既に記したように、原告和栄は、被告病院の過失により自分一人しかいない病室で分娩することになつたのであるが、しかしその場合でも原告和栄が分娩開始を知つて直ちに下ばきを取り、更に娩出してきた新生児原告江利子に付着している羊水汚物を除去して新生児の呼吸に支障のない状態にしてやることができたならば、原告江利子の受傷は回避しえたはずであるが、無論いくら原告和栄が経産婦であつたことを考慮しても、何ら専門的知識を有せず、かつ生理的、精神的に尋常でない状態にあつた同原告に何びとの介助もなく単独で右のような行動をとるべきであつたと評価することはできない。

しかし、前記認定のとおり、原告和栄は、原告江利子出生当時、原告江利子が娩出しつつある、あるいは原告江利子がそこに娩出された自分の下ばきを押えていた、あるいは引張るようにしていたものであつて、右のような行為は原告江利子の呼吸困難、酸素欠乏を助長したであろうこと、そしてそれが原告江利子が罹患していることが後に判明した脳性マヒの重篤化に寄与したであろうことが推認できる。

右のように下ばきを押えていた、あるいは引張るようにしていた原告和栄の行動は、前記のように、同原告が専門的知識を有せず、分娩に伴う肉体的、精神的苦痛の中にいて、また自分唯一人の病室で突然産気づいて分娩する事態に立ち至つたことにより精神的に著しく動転した状態における行動であつて、これをもつて同原告の過失とするのも相当でないが、また他方において、右行動によつて拡大した損害部分については、被告病院に対してこれを予見すべきものとして帰責することも相当でなく、右拡大した損害部分については、何人にも帰責しえない不可抗力的な事情によつて損害が拡大したと評すべきもので、右部分については被告病院の過失と相当因果関係が存すると認めることはできない。

そして、被告病院の過失によつて本来的に生じた損害部分と、右によつて拡大した損害部分との比率を両者両等と見て、後記のように計算された損害のうちその二分の一程度を被告病院の過失と相当因果関係のあるものとして、被告病院に賠償責任を負わせるのが相当である。

八請求原因5の各事実(損害)について

<証拠>によれば、原告江利子は、本件事故に起因する脳性マヒにより、四肢の機能、言語機能その他の身体的、精神的諸機能に著しい障害を残し、その通常の歩行、飲食、入浴等の日常生活も他の者の介助なくしてなしえない状況にあり、かつその回復の見込みはほとんどないものと認められ、このことにより各原告に対し、以下のとおりの損害を生じさせたものと認められる。

1  本件事故による傷害の治療費(診断書作成料も含む。)として、金二三万六六五三円。

2  機能障害の回復のための訓練費として金一八万円。

3  <略>

4  原告江利子が診療を受けるについて増山守医師に対して金一〇〇万円の謝礼を支払つた事実が認められ、その余についてはこれを認むべき証拠が存しない。そして右金一〇〇万円のうち、金一〇万円についてのみ本件事故に起因する損害と認めるのが相当であり、それを越える部分については被告病院の過失と相当因果関係が存するとは言えない。<中略>

14 前出のとおり原告江利子は四肢の機能、言語機能等が著しく冒されて治癒の見込みがほとんどないものと認められ、その労働能力を一〇〇パーセント失つたものと見ることができるから、本件事故により以下の計算による得べかりし収入を失つたと言える。

(ア)  昭和五五年度における産業計、企業規模計、学歴計の全国女子労働者の平均年間給与額 金一八三万四八〇〇円(職務上顕著な事実)

(イ)  〇才を基準にして一八才から六七才まで就労可能と見た場合の民事法定利率による中間利息控除のためライプニッツ係数 7.549

(ウ)  計算式

183万4800×7.549=1385万0905円

(なお原告江利子は存命であるから、生活費相当分は控除しない。)

15 本件事故に起因する原告江利子の慰謝料としては、前出のとおりその受傷が重度であること、一生身体的、精神的機能に大きな障害を残して今後とも生活上多大の苦痛と不便を被ることを考慮し、更に既に認定した財産的損害の他にも、従来及び今後とも本件事故に起因して出費を用するものと推認されるので、慰謝料の補完的機能から右の点も加味して、その慰謝料は金一五〇〇万円とするのが相当である。

16 弁論の全趣旨によれば、原告江利子は、本件事故に起因して結局本件訴訟を提起することを余儀なくされたものと認められ、それに要する弁護士費用としては、本件事案の内容、その難易、本件訴訟の経過、前記認定の本件事故に起因するその余の損害額を考慮して金三〇〇万円が相当と認める。

17 請求原因5(二)の事実(その余の原告らの慰謝料)について

原告江利子の罹患した脳性マヒは前記認定のとおり極めて重篤であるから、近親者であるその余の原告らの精神的苦痛も甚大であると推認され、これを慰謝すべき慰謝料は実親である原告和栄、原告武治につき各金五〇〇万円、養親である原告西沢につき金二五〇万円(原告西沢の妻西沢朝枝の分の慰謝料は含まない。)が相当である。(なお、原告西沢が原告江利子と養子縁組を結んだのは、原告江利子出生の後、すなわち本件事故の後であることは言うまでもないけれども、<証拠>によれば、原告江利子出生前から右の養子縁組を結ぶ約束が原告武治夫婦と原告西沢夫妻との間にできていたこと、被告病院の担当医師被告小林も右事実を予め知つていたことが認められるので、原告西沢にも原告江利子の受傷についての慰謝料請求権が存すると解するのが相当である。しかし、原告西沢が、その妻で同じく原告江利子の養親である西沢朝枝の分の慰謝料を合わせて請求することができる理由は認められない。)

九被告病院に帰責すべき損害額について

前記説示のとおり本件事故に起因する損害のうち二分の一を被告病院に帰責すべきであるから、前項に認定の本件事故に起因する原告江利子の損害合計金五三八五万〇五五四円、原告武治、同和栄の損害各金五〇〇万円、原告西沢の損害金二五〇万円のうち、それぞれ半額分、すなわち原告江利子につき金二六九二万五二七七円、原告武治、同和栄につき各金二五〇万円、原告西沢につき金一二五万円が被告病院の損失と相当因果関係のある損害と言うことができる。

一〇遅延損害金について

既に判示したとおり、被告病院の不法行為により各原告に前記のような損害が発生したものであり、そして右のように評価された損害が右不法行為の日である昭和四六年五月二日に発生したと解しうるから、右不法行為日から民事法定利率年五分による遅延損害金が発生すべきものと言うことができる。<以下、省略>

(高橋久雄 山下和明 池田直樹)

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